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7 スパイスの歴史に関するお話
日本におけるスパイスの歴史
「スパイス」という言葉は、英語のSpiceに由来するものであり、「香辛料」または「薬味」と訳されて使われています。

古来から使い慣れてきた「薬味」という言葉は別として、つい最近まで「スパイス」とか「香辛料」という言葉には、私たち日本人はなじみが薄く、直観的に舶来品であるかのような印象で受けとめ、ましてや、シナモン(桂皮または肉桂)、クローブ(丁子)、ナツメッグ(肉豆く)、ローレル(月桂葉)、オールパイス(百味胡椒)などのスパイスはその名を文字や言葉で表しても一般消費者にはほとんど理解してもらえず、昭和40年代までは台所や食卓はおろか、商品として店頭に陳列されることさえ少なかったようです。

ところが、中世のヨーロッパや酷暑のインドなど東南アジア諸国では、広い国土の中で食糧を遠くまで運ぶ必要があり、腐りかけた肉や強い臭みをもつ野獣の肉を食するためにも、あるいは南方では暑さからくる食欲の減退を防ぐためにも、強烈な香味をもつ香辛料は必然的に重宝がられ、たくさんの種類のものが、しかも大量に消費されてきました。

それに対して、わが国においては、気候風土に恵まれてきた関係から、海の幸や山の幸を比較的容易に入手し新鮮なものを摂ることができたので、強い香りづけや消臭効果を求める必要がなく、素材食品本来の持ち味をそのまま生かすような調理法が主流をなしてきました。また、かつおぶし、こんぶ、しいたけの味に代表されるアミノ酸や核酸系の旨味によって、日本人の繊細な味覚は培われてきました。

従って、伝統的な日本料理に「薬味」を用いる場合でも、味が比較的淡白な素材にアクセントをつける程度に、ごく少量を添えるような使い方をしてきましたし、それほど多くの種類のスパイスを必要としなかったといえます。

また、私たち日本人の日常の食生活は、水産王国の名にふさわしく、古来から魚介類を多用してきたので、スパイスも魚にまつわるものが多いということが特徴になっています。 しょうが、山椒、わさび、にんにくなどは、その代表的な和風スパイスです。
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2つ目の特徴としては、日本料理に用いられる代表的なスパイス類はそのほとんどのものが、辛さを伴っているということであり、そのために、わが国では古くから「スパイスとは辛いものである」という誤解が、非常に強く定着してきていることです。

今では、世界各国で用いられているスパイスの数は、350種類ぐらいはあるといわれていますが、そんなに数多いスパイスの中でも、辛いものは1割にも満たないわずかな数でしかないのです。スパイスについて正しい理解を深めていくためには、「スパイスは、すべて香りを持っている」ということをまず知っておく必要があります。

さて、誰がもたらしたかは明瞭ではありませんが、すでに聖武天皇(724〜749年)の代に、日本にこしょうなどのスパイスが上陸していたことは、驚くべき事実です。前出のとおり、正倉院の御物の中に、こしょうのほかクローブ、シナモンが収められており、いずれも貴重な薬として日本に渡来していたことは間違いありません。

聖武帝の時代には、4回も遣唐使が中国を訪れ、唐と修交を深め、また、在位中の736年にはインドのバラモン僧や唐僧も来朝しています。この遣唐使が持ち帰ったものか、あるいは、2人の僧が献上したものかは不明ですが、貴重な薬としてスパイス類が聖武帝のお手許にあったということです。

ところで、日本のもっとも古い歴史書である「古事記」(712年)にはしょうがか山椒を指す「ハジカミ」や蒜(にんにく)、「東大寺正倉院文書」のなかの正税帳(734年)には、胡麻子(ごま)、「延喜式」(927年)には千薑(乾しょうが)や芥子(からし)、「本草和名」(918年)には山葵(わさび)などの名がでてきます。従って、和風スパイスと呼んでいるこれらは、いつ伝わったかは明らかではありませんが、古くから栽培されていたようです。

古くは、主として中国(元や明の国)との交易、中世のヨーロッパ人(ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなど)の来航、それに伴う日本の東南アジア諸国への渡航、近世の御朱印船貿易などによって、クローブ、こしょう、唐がらしなどの外来スパイスは渡来しています。その後、徳川家光が鎖国令を発したため外国との交流が途絶え、文化、経済面でヨーロッパに大きく遅れをとり、商業のみが栄え、武士は頽廃し、庶民は困窮し、封建制は崩壊の道を辿ります。そうした封建社会の江戸時代に、外来スパイスのひとつ唐がらしは、日本の風土にも適応して各地で栽培されるようになり、いち早く日本の食卓にのぼり、薬としてではなく調味料(薬味)として利用されはじめました。

鎖国のため外国の新しい文明や産物にほとんど接することのできない時代が200年余りもの間続いたあと、やっと明治維新によって文明の道が拓けました。  文明開化間もない明治5年(1872年)に刊行された「西洋料理指南」や「西洋料理通」の中に私達ははじめてカレーのつくり方を見ることができます。鶏肉、エビ、鯛、カキ、赤蛙などにカレー粉を入れて煮込んだ料理です。

もともとインド料理であるカレー料理は、東洋に進出したイギリスが1600年に「英国東インド会社」を設置したことに端を発し、イギリス本国へ美味な高級インド料理として伝えられ、ここで温帯風に手直しされた後、西洋料理としてイギリス人が日本へ紹介したものです。日本では、米を主食にしていた関係から、カレー料理は米飯と結びつき、そうして生まれたのがカレーライスなのですから、カレーライスは、インド料理でも、西洋料理でもなく、むしろ日本料理(和食)と呼ぶのが正しいのかも知れません。
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昭和56年6月21日付毎日新聞のなかに面白い記述があります。
「会津藩白虎隊の一員であった山川健次郎が明治4年に渡米した際の船中食で、カレーライスなるものにはじめて接し、「このゴテゴテした物」と称してライスにかかったカレーを食べることができず、ライスだけを食べ、この船中食には閉口したそうです。山川健次郎がカレーライスに接したはじめての日本人ではないだろうか」と記されています。

当時の日本は、佛教の伝来以来十数世紀もの間、摂取カロリーの大半を穀類からの炭水化物に依存する栄養バランスの悪い食生活を続けていました。肉食禁止令のため肉類はほとんど食べなくなっていたこと、調理に油を使用する習慣が定着していなかったこと、島国であるうえ鎖国令まで布き外国との文化交流を避けてきたことなどのため、一汁一菜、一汁二菜の粗食に甘んじてきていたのです。そんな食生活を改善するキッカケになったのが、明治維新を契機に導入された西洋料理であり、「若者よ、大志を抱け!」の名言で有名なクラーク博士が西洋料理中の一品カレーライスを通して食生活改善の推進に関わっていたおもしろい一コマがあります。

博士は、明治9年に来日後、1年余り札幌農学校(現北海道大学)の教壇に立っていますが、生徒たちの体格・体力の想外な貧弱さを憂えて米飯偏重の食事からパン食・肉食への転換を提唱し、同校の寮則に次の一項を加えさせています。即ち、「生徒は米飯を食すべからず。但し、ライスカレーはその限りに非ず。」の一節を加えて、栄養豊富な肉や野菜を油で炒め、消化を助けるスパイスを利かして煮込んだカレーなら米飯を食してもよいと定めさせたものです。当時の日本にとっては確かに学問も必要だが、食生活の改善、体格・体力の向上こそ国家隆盛のための第一課題であろうと示唆したものであり、ライスカレーは優れた栄養食だから大いに食べるよう奨励しています。クラーク博士のキリスト教信仰に基づく訓育は、後に大成した内村鑑三や新渡辺稲造ら学生を感化しただけでなく、他面で“体力のすすめ”の点でも貢献しました。

しかし、当時のカレーライスは、上流社会での高級西洋料理で、明治16年に建てられた鹿鳴館が華やかな社交場になるなど洋風化政策の波に乗り、徐々に庶民の間にも広まっていきました。ボツボツ街に開かれた西洋料理店メニューに「そっぷ、おむれつ、しちゅう、かつれつ、びすてき、らいすかれい、さらだその外お好みしだい」と表記されています。明治末期にはライスカレー、カレーうどん、カレーそばが大衆食堂のメニューに登場、大正時代に入り玉ねぎ、人参、じゃがいもを使った日本式カレーが誕生しています。この日本式カレーの処方は軍隊食メニューに採用されていますが、栄養上も、調理の簡便性の点でも集団給食として適していることが大いに評価されたからであり、カレー普及への一布石として特筆されることです。

この頃使われていたカレー粉は、もちろんイギリスとの貿易で買い入れた品であり、18世紀末にイギリスのCrosse & Blackwell (C&B)社が世界ではじめて企業化したカレー粉でした。

今でこそ日本人の大半は、カレー粉は数十種のスパイスを混合して造るものだということを知っていると思いますが、神秘的で万人が好むこの西洋料理のポイントとなったカレー粉を国産化しようという志を立てて研究に取り組んだのが、故山崎峯次郎(ヱスビー食品(株)創業者)です。

文字どおりの試行錯誤を繰り返し、悪戦苦闘の末、国産第1号のカレー粉が誕生したのは、大正12年でした。その後山崎により、さらに改良が重ねられ、家庭向けカレー粉が昭和5年に発売されました。戦中戦後の混乱期を経て、さらに改良がなされましたが、現在の日本のカレー粉は品質の上で世界に類を見ない最高水準に達しているといっても過言ではありません。ヨーロッパでは肉の強い臭みを消し、肉の保存をよくするために、インド、東南アジアなどでは暑さから身体・健康を維持していくために、スパイスは香りはより強く、辛味もより辛くという比較的単純な意図のもとに使われてきたのに対し、旨味を大切にしてきた日本人は、スパイスの香りや辛味に対しても敏感に反応し、発祥の地インドにも見られないような調和のとれたカレー粉の芸術品をつくりあげたのです。
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コロンブスの冒険のあと世界中に広まった唐がらしを含め、日本で薬味として古くから知られていた山椒、わさび、にんにく、しそ、ゆず、ごまなど和風香辛料と称されるもの以外のスパイス、すなわちクローブや、ナツメッグ、シナモン、オールスパイス、カルダモン、ローレル、クミン、ターメリック……等々は、日本では、つい最近になって使われはじめたスパイスだと感じている人が多いようですが、実はこれらのほとんどのスパイスは、知らず知らずのうちにカレー粉として、またその一部はウスターソースとして日本家庭の食卓にのぼり、戦前からかなり大量のものが消費されてきました。こしょうは、家庭料理の中でも、「塩こしょうをして、砂糖何gと醤油何杯を加え、化学調味料を少々…」といった具合に、よく知られていますが、ここに別記したスパイス類を和名で呼んで、丁子、肉豆く、桂皮(肉桂)、三香子(百味胡椒)、小豆く、月桂葉、馬芹、字金などといっても、それに慣れ親しんでいる人は、よほど料理に通じている人か、または調理士、メーカー関係などにたずさわる専門家に限られているといわざるを得ません。

しかし、私たち日本人の食生活が戦後著しい変化をとげ、考えられないほど多様化した現在では、加工食品の占める比率は高く、外食をすることもしばしばで、家庭料理とは異なった特有の香味に接する機会も多くなっています。それを家庭料理の中でも出してみたいという願望を持っている主婦層や若い女性がたいへん多くなり、料理学校、テレビの料理番組、料理雑誌などでスパイスの活用法を覚えようと熱心に勉強しているという話をよく耳にします。事実、ここ十数年来、加工用スパイスばかりでなく、家庭用スパイスの消費も、ローレル、シナモン、オールスパイス、ナツメッグ、クローブ、サフランなど急速な伸びを示しています。

このような主婦の熱心なスパイスへの挑戦意欲に応えるべく、スパイスメーカー各社は、従来の食生活の中に溶け込んでいたこしょう、唐がらし、わさびなどのほかにシナモン、クローブ、ローレル、セージ……など各種洋風スパイスを市販するようになりました。パウダータイプのものだけでなく、最近では原形のままのホールタイプや生ハーブも出て、手づくり志向のグルメな主婦の人気を呼んでいます。一方では、食塩、砂糖、化学調味料などをブレンドしたハンバーグ用、ステーキ用、フライドチキン用、ピザ用など料理に合わせた手軽に使える便利なシーズニング・スパイスが出現し、若い主婦や多忙な人に喜ばれています。

以上のような歴史的背景をもつスパイスでありますが、次に「スパイスとは何ぞや?」という「スパイスの定義づけ」を考えてみましょう。
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