当時、「マラッカ海峡を制する者は世界を制する」といわれていましたが、ポルトガルはこしょう、クローブ、ルビー、陶器、象牙、カシミヤ、白檀、じゅうたん、奴隷などの交易でにぎわっていたマラッカの領土化を目指して、さらに足を伸ばします。この船団にもマゼランは参加しています。
ここで数々の功績を残した若き士官マゼランは、マライ攻略の立て役者として総司令官セラーノに注目されることとなりました。このように、ポルトガルの東方征服の航海に参加して、数々の貴重な試練を積んだマゼランは、リスボンへ帰った後、世界でもっとも偉大なもっとも大胆な冒険への夢をかり立てられるのです。
一方、マラッカ海峡征服の時の司令官セラーノは、さらに西進して香料諸島の島々で、クローブの栽培、収穫の光景を目のあたりにし、クローブが常緑樹の花の蕾であることを知ったヨーロッパ人最初の人となりました。利欲を知らない島民との間に鈴や腕輪との物々交換の方法で莫大な量のクローブを手に入れ、3隻の船に満載して、領有地マラッカへ帰港する予定でありましたが、不幸にもセラーノが乗っていた船は、途中暗礁に乗り上げて難破してしまいました。海賊の小舟を分捕ったセラーノは、難破者と共にモルッカ諸島の一つアンボイナ島に引き返し、そこで、酋長の友好的寛大なもてなしを受けているうちに、ポルトガル軍人としての感情に動揺が芽ばえ、名誉も資格も、危険な戦いや冒険も捨てて、この幸福な島で気がねなく自分の生活をおくる決心をしてしまったのです。
1514年、モルッカ諸島テルナテ島にポルトガルの第2回香料探検隊が上陸した時には、セラーノは、この島の王から宰相としての高い地位をさずけられており、母国ポルトガルとの物々交換に口をはさむ立場になっていました。
その後、テルナテ島は、スパイス貿易の中での主要なクローブの取引の中心地となりましたが、テルナテ→ポルトガル→マラッカへと便りを送る機会があるごとに、セラーノは、マゼラン宛に新しい故郷と富と快適な暮らしを讃え、クローブ、ナツメッグなど、スパイスに関する詳しい情報を送り続けています。
ポルトガル軍のマラッカ征服のとき以来セラーノとマゼランの間に続いた友情のきずなは、マゼランのその後の生涯と業績に大きな影響をもたらしました。
彼らが、南海の暑い太陽のもとで戦い、苦しみ、血を流して宝物を集めている間に、リスボンの街はアレキサンドリアやベネチアに代わる商業都市となっており、10年前の一小都市から豪華な世界の中心都市に変貌していました。マノエル王家はヨーロッパでもっとも富める君主になりつつありました。
母国へ帰国したマゼランは、あまりにも変貌した港町リスボンの姿に驚かされると同時に、ひそかに財宝をかき集める高級貴族たちとは裏はらに、インドやマラッカにおける功績をたたえてもらえるでもなく、昔ながらの最下級貴族の一人として扱われたにすぎなかったのです。 |