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ヘンリーの航海奨励とバスコ・ダ・ガマ
一方、スペインよりも早く、ポルトガルはアフリカ西海岸貿易の道を開拓していますが、ジョン王の王子ヘンリーが航海を奨励して幾多の成功を収めたことは、世界史の1ページとしてコロンブスの新大陸発見の偉業と同様に、スパイスの歴史の上で重要な意味を持っています。

ヘンリーの死後間もなく、バルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰航路を発見(1484年)したのに続いて、鍛え抜かれたバスコ・ダ・ガマという優れた航海士が出現するところとなります。コロンブスが第2回目の大西洋横断の旅を終わった頃には、喜望峰を回航してインドのカリカット(カルカッタではなく、現在のコーチンの北200?の都市)に到達し、マルコポーロが「東方見聞録」で記述した「こしょう海岸」(マラバル海岸)の現地調査を実現しています(1498年)。

この行動は、現地人やアラビア、ペルシャの商人達に脅威を感じさせ、ポルトガル人排撃の空気さえ漂ったのですが、苦労の末、バスコ・ダ・ガマはスパイスで船倉を満杯にして、母国の港へ帰港しています。

喜びのポルトガルに比べ、ヨーロッパの諸国はバスコ・ダ・ガマの成功の報を複雑な心境で聞き、スパイスの市場として栄えてきた地中海沿岸の街の商人達には大きなショックでした。以降、アラビア、ペルシャ、ベニスの街は、繁栄から斜陽の道をたどることになり、海洋王国ポルトガルの栄光の時代がやってくることになります。

ポルトガルの航海者たちが開拓した新しい航路情報や現地事情などの詳細については、厳重な秘密主義をとったので、ヨーロッパの最小国であったポルトガルは急速に制海権を広げ、アフリカ、インド、ブラジルの全土を領土化すると唱えるのに、バスコ・ダ・ガマのインド上陸からそう長い年月を必要としませんでした。 
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バスコ・ダ・ガマの上陸記念碑
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バスコ・ダ・ガマがインドのカリカット(現在のコーチン)に建てた教会
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